インディアンから学ぶ「心の自由」

心理カウンセラー衛藤信之

自由な価値観と自由で寛大な社会

どうもー!感謝してます!

今回は、心理カウンセラー(公認心理士)衛藤信之先生の動画
【インディアンから学ぶ「心の自由」】の文字起こしとなっております。上のリンクが動画となっております。

Youtubeのクリップ機能を使ってリンクを貼りました。何か不都合がありましたら
【お問い合わせフォーム】からご連絡ください。

youtube上に2020/05/02にアップロードしたものとなっているため、ブログにアップした時期などが異なりますのでご了承くださいm(__)m

心理カウンセラー衛藤信之は、欧米の各種心理セラピーを学び、それらとライセンス契約をし、日本人の心理にあった技術をオリジナルで開発。多くの企業でのその実績を生かし、多種多様の大手企業と顧問契約を結んでいる

またインディアンとアメリカ・アリゾナで生活を共にした経験を生かし、自然と共存した生き方の啓蒙運動も定評がある。彼は幼少期に両親が離婚し、10歳の時に継母の自殺の第一発見者となった悲劇に見舞われたにも関わらず、トラウマ(心的外傷体験)という従来の古典心理的な考えに逃げ込むことをよしとせず、誰にも不幸を幸せに180°変える力があると、マイナスな体験をプラスにチェンジするカウンセリングマインド指導をしている

彼の特徴である話術の軽快さは多くの講演家の見本にもなっており、その独特の髪型は長男が小児がんになったことをきっかけに、抗がん剤治療のために髪の毛を失った子供たちのウイック(カツラ)作りにヘアードネーションに協賛。現在の後ろ髪は2度目のチャレンジになる

この動画のポイント

・言葉が感情や行動に与える影響
・普通と異常の考え方
・自由で寛大な社会の必要性

これより衛藤先生の動画【インディアンから学ぶ「心の自由」】文字起こしとなります

普通と異常の枠組みを超えて人々を受け入れる姿勢

自分が落ち込みやすいなぁとか
すごく自分が悩み癖があるなぁとかいう人は
今日の授業はすごく役立つと思います

今日の授業は、僕らが何かの出来事
例えば何か
・誰かに嫌な事を言われた
・失礼なことを言われた

ところがここが問題なんですよね
失礼な事
失礼って 僕らがそこにレッテルを貼っちゃっているわけで

実際は言葉っていうのは 音の信号なんですよね
でも文章に書ければ 一つの単体の字が並んでいて
それが一つのワードとなって言葉になってくるわけですけれど

まぁ問題は失礼って
イヤイヤ私はあれ気にならなかったわよという人もいるし

あれ舐めてるよね。バカにしてない?
私すごくバカにされたような気がしたって言う人もいますよね

さぁ今日のテーマなんですけれども
僕らは その出来事が何かその言われたワードとか
何か起こった事実が皆さんを苦しめるのか?
ってことです

はい
今日はそこを考えていこうと思うんですね
例えば
毒親とかいう言葉がありますね

あまり僕は好きな言葉ではないんですけど
毒親とかパワハラの上司とか

それとか超嫌いな友達とか
そういういろんな僕らは言葉があります
そういう人たちに対して何かこうあった時に

今までの心理学は出来事
例えば
出来事が感情を作るんだ
アルコール依存症の親にDVを受ける

そうすると今までの心理学は大人になって
心の傷(トラウマ)になりますよというのが
実は今までの古典心理学っていうやつなんですね

何かの出来事があると
結果感情というのを持ちますよと

だから出来事が感情を持つ
あんなことを言われたから私は怒っているのとか
こんなことがあったから
雨が降ったから最悪なのとか

僕らは日常の言葉をちょっと1回考えてみたいと思うんですね
今日花粉が飛んでるから超イヤとかね
今日乗ろうと思ったら タクシーにシャァーっと行かれてもう超不愉快とか

僕らはその出来事電車が行っちゃったとか
花粉が飛んでるとか雨が降っているとか
そういう出来事が今の感情を作っている

そう言う意味では
出来事感情だと
子どもの時にアル中の親に育てられると 心の傷になってトラウマになりますよ
というのが古典心理学
従来の心理学ですよね

それとか
ADHD(注意欠如多動性障害)発達障害なんです
だから子供が発達障害で、それは大人になってからきっと不幸になるに違いないと悩んでいらっしゃる

でもね和歌山県が生んだ「南方熊楠」という人は
8歳くらいまで喋れなかったって言いますからね

その人が世界の中でいろんな菌を見出して
そしていろんな大発見をしてその人があの時代まぁ言えばADHD
まぁ正直にいうと僕も明らかにいうと心理的にいうと

ほとんど病気の世界ですね
病名が演劇性多弁性障害(笑)

すべて演劇にして要らん事をしゃべってしまうと
考えようと思う前に口が動いていると、そして全部演劇にしてしまうと

だからそういう意味では僕も
僕ねインディアンの所で生活していた時に
ネイティブアメリカンの人たちね

例えばLGBTみたいな同性愛とか
同性にしか興味がないとか
男の人なのに女っぽいとか
女の人なのに男性になりたがるとかね

そういう人って僕らはマイノリティっていってちょっと少数派で
ちょっと変わった人たちだなぁって
ちょっと敬遠する傾向があるじゃないですか

でもねインディアンの人たちは面白いですね
男性なのに女性の感覚がわかるし
女性なのに男性の感覚がわかるというね

二つのスピリチュアルなパワーを持っているといって
逆に特別扱いされたりするんですね

統合失調症
あ!今、今なんか交信が宇宙から来たような気がしますみたいな

こういうのがあると僕らは統合失調症だなって
病院に入れますよね
でもね、インディアンの人たちは突然、神と会話ができる能力を持っているという

だからね精神医学の世界で100人に1人は統合失調症
要するに昔でいう分裂病というのは
だいたい統計的に出てくる

それを精神病院に入れたり
老いた人たちは老人ホームに入れたり
子ども達は学校に入れたりというね ある種

人をカテゴライズっていうか
カテゴリー(分類)に分けるのが好きじゃないですか?この現代社会は

でもねインディアンの人たちというのは
本当に高齢者で年取っていくのは一つのプロセスだから
そして段々こうね神の言葉が聞こえてくる

要するに
突然、子供に戻ったり
突然、今しゃべっている事を忘れたりするのは
逆に言えばスピリチュアル的な能力があるってインディアンの人たちは言っている
すごい大事にされるんですね

だから今日はあの人を誰が家まで送り届けるんだ神の人をとかね
だからねなんていうかな
村自体で統合失調症もLGBTも要するにまぁ言えば
ちょっと普通じゃないっていうカテゴリーね多動児とか

でも多動児、ADHDで考えると
スティーブ・ジョブスもApple王国を作ったスティーブ・ジョブスも
実は多動児だったとわかっていますし

トム・クルーズもADHDだと言われていますよね
だから彼は演劇に関してはスゴく集中力があるんだけど
他に関しては全然興味がない

僕もそうですね
心理学に対しては集中力があるんですけど
経済とか株とか全然興味がないとかね

何聞いたって頭に入らないとか馬鹿じゃないこの人
説明されてもワカラナイっす

だからそういう意味ではある特殊な部分 それをこの人は特別だとか
普通っていうのが好きですよね、普通

だから普通から病人は普通じゃない
ちょっと突然交信が入る人は普通じゃない
女の人なのに男の人が好きじゃない人は普通じゃない
男の人なのに男の人しか好きじゃないっていう人は普通じゃない

なんか普通
みんな一生懸命子ども作らなきゃいけない
これが普通だからとか結婚しないといけない、これが普通だからとか

なんか会社に入って安定した生活をしないといけない。これが普通だからとか
もうなんかね
ある種、普通じゃない人たちは異常っていう

なんか日本ってスゴく不安な社会ですよね文明っていうのは

だからインディアンのところで生活していると面白いのは
僕がワークで泣きだしたら 隣の奥さんに抱きしめられたんですよ
おいでって言って

これ隣の奥さんに抱きしめられたらこれ
マズいすよねと僕は思っちゃうわけです
不倫じゃないですか

でもインディアンの人たちは
今この人が淋しい時にそれを抱きしめることが
何故問題なのノブ?って言うわけですよ
いやでも一応僕らの文化では
やっぱり全然違う女の人がムギュとか抱きしめるのはチョット
やっぱりよろしくない💦っていうような

へー悲しい文化よねって言われたんですよね
そうか・・・
だから男の人でも 怖いとかツラいと言っても良いんです

でもインディアンの人ってスゴイ強いんですよ
本当にアメリカが入って来たときに、村人とか子供たちを逃がして
自分は木にねロープを結んで自分は逃げられないようにして自分がくい止める

それくらい強いソルジャー戦士なんですよ
ところが怖いって言っていいって言うんですよ
怖いよって
そうね怖いよって言ったら、その横にいる余裕がある人が大丈夫よって言ってくれる

だから男だからとか女だからという抑圧もないんですね
いや女の人がそんな仕事にムキになったらダメじゃないですか?
もうちょっと女の人だからチョッと控えたほうがとか あるじゃないある種のなんか同調圧力

でもインディアンの人のところで生活した時に
今のインディアンと違いますよ
過去のインディアンの人たちとか長老たちのお話を聞くとスゴイなぁと

そういう意味ではあぁやっぱり僕はインディアンのところで歳を取りたいなぁと
年取ったら取ったでそれが普通であるし
ボケたらボケたでそれは普通であるし

身体が不自由になって病んでいくのはとっても普通なことだし
神と交信してチョッと痴呆が入ってきて訳のわからないことを言い出したら
それもとっても普通であるし、とっても普通な事と、とっても異常なことに分けられる

だからそう考えると
例えば子供の時に暴走族やったり非行に走った子が意外と大人になったら
親に迷惑をかけたからと良い人になったり

そう考えると
例えば子供の時やんちゃしたからその子はもう
とってもアウトローの危険な人物にしかならない!のでしょうか?

ADHDだから真っ暗な人生が
スティーブ・ジョブスやトム・クルーズに待っていたのでしょうか?

~ここでZOOM配信が終わります~

今回の映像いかがだったでしょうか?
楽しんでいただければ何よりです
インディアンの話けっこう面白かったでしょう?

なぜあのインディアンの話を出したかというと
今、僕らはバリエーションが必要だなと思うんです
何かみんな一生懸命頑張っていらっしゃいます

8割減に減らすために
頑張って!頑張って!頑張って!

でもねインディアンの人たちはいろんな人たちがいて良いのだと
LGBTみたいに愛の形があっても良いし
病んでいく人たちもこれも普通だし

もしくは戦士であっても怖い時には怖いと言う
安心感のある社会
泣きたいときに突然に涙を流しても誰も無視されない
大丈夫だよ、僕だけはそばにいるねって言ってくれる

そういう穏やかな社会
そういうものって日本にもあったんですよね

神道
日本はその当時、たくさんの神様がいました
やおよろず=八百万(Eight million)神様がいるんですから

相当神様がいるわけですよね
まじめな神様もいれば
ずーっとお酒ばかり飲んでヘラヘラしている神様もいる
中には女性のお尻ばっかりを追いかける大丈夫なの神様?
という人もいるのかもしれません

一生懸命に頑張れば頑張るほど頑張っている人も
なんか自分が走り続けないといけない、息が抜けないと思ってしまいますよね

そうするとどこかで苦しくなってしまいます
中には頑張る人たちを見て
俺はもうどうせダメだからって、もう完全に開き直ってもう自分の人生を投げ出す人もいるのかもしれません

だから日本はどんな状況でも神様がそういう人たちばっかりだから
そういう人たちも助けてくれる
そういうのが安心できる社会なのかもしれないですよね

日本が今コロナの問題で、一生懸命大変な中
パチンコをしている人がいたり
他の地域に行ってサーフィンをしている人がいる

そういうのを見ると皆さん
やっぱりイライラっとするのかもしれません
でも考えによるとね

戦争時代って自由がなくて
僕たちは日本国民一丸となって戦うんだ!といって

全くバリエーションを排して一生懸命ひとつになって国民が
頑張った時代があったんです

あの戦争の時そう考えると
「こうやっておかみがもうちょっと規制をしてほしい」って言っても
あぁやってお店を開いたり

自由にしている人がいる
もちろんイライラする気持ちはよくわかるんですが
角度を変えると
それだけおかみが牛耳れないぐらい平和で自由な社会でもある

という側面もあるわけですよね
皆さんすごくがんばっている分だけ

逆に言えばみんながイライラしている
そうなった時にちょっとあんな人もいるんだなぁと思って
ちょっと力を抜いても

そういう弱い自分を出しても許してもらえるような
そういう寛大な社会そういったものをちょっと考える良いキッカケにしてもらえばと思って

今回はある講座の中で、ちょこっと雑談でお話した
インディアンの話を出しました
また皆さんね、心理学はそのつどそのつどいろんな角度で

物事をギューッと考えるよりも
ってコロコロ動くからこころなんですよね

ですからちょっと自由に
最近ちょっとしたらイライラしているなって思ったら
遊びにきてください

ここに場所は設定しています
⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓⇓

日本メンタルヘルス協会「1日体験!心理学講座」
日本メンタルヘルス協会が開講する、「1日体験心理学講座」のご紹介ページです。心理カウンセラー衛藤信之先生の講座には全世界から毎月1000人以上の方が参加し、心理学を学んでいます。


また皆さんとお会いできるのを楽しみにしています
ちょっと力を抜きましょうね

誰が悪いんぢゃないんですよ
問題はコロナであって僕たちが対立したりイライラしたりすると
僕たちの心がコロナ以上にささくれて立っちゃいます

またお待ちしていますねさようなら

さいごに

本来はみんな自由な社会だったと思うんです
それが時代の流れで戦争が起こり、敗戦してからの厳しい世の中
そんな中で自由にやれなくなりました

色々な制限の中
各々が我慢した結果、立て直した結果が今の世の中になったので
次の世代が自由にやっている事が気に入らないんじゃないかな?と
そこで普通という枠組みが障害になったのではと

今の現代社会の普通じゃない枠組みには苦しみました
遠回しに普通じゃないと言われ、なんで皆と同じようにできないのか?
と悩んだ時期もありました

それでも、できるように工夫すればなんとか誤魔化せたり
予防策していればなんとかなるもんだなと

衛藤先生仰ってたインディアンの社会における自由な価値観や
怖いときに怖いと言える安心感のある社会の概念は、現代社会においても非常に重要だと感じます

むしろ幼少の頃から多感な10代の後半頃までは
インディアンの元で生活をしながら いろんな人を受け入れられる
姿勢の大切さを学び、今の日本の価値観を少し変えたいですね

他者とのコミュニケーションや共感の大切さを改めて考えさせられるお話でした
衛藤先生ありがとうございます!

しかし
演劇性多弁性障害ってw
いちいち面白すぎます(笑)

ここまで読んで下さったアナタは本当に優しい人です。ありがとうございますm(__)m

感謝してます

タイトルとURLをコピーしました