グリーフケアのコツ

心理カウンセラー衛藤信之

亡くなった悲しみから脱出する方法

どうもー!感謝してます!

今回は、心理カウンセラー衛藤信之先生の動画
【グリーフケアのコツ 完全納得!】の文字起こしとなっております。上のリンクが動画となっております。

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youtube上に2023/09/13にアップロードしたものとなっています

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僕は自分の落ち度を許せる人が、他人に優しい人だと思っています。でも、すべてに完璧を求める人は、周囲にも完璧を期待します。
「詫びながら生きる」という謙虚さを持っている人、人にも自分にも優しい人だと思う。自分の悲しみより、亡くなった人の気持ちを優先することも考えてみようと思って、この動画を撮りました。

引用元:心理カウンセラー衛藤信之【グリーフケアのコツ 完全納得!】概要説明より抜粋

この動画のポイント

・詫びながら生きるということ
・完璧を求めないことこそ優しさにつながる
・許し合う事の大切さ

これより衛藤先生の動画【グリーフケアのコツ 完全納得!】文字起こしとなります

心理学+仏教+キリスト教

今回は
「大切な人を失ってその苦しみがなかなか取れない」
という人のために
【脱出方法】をお話ししたいと思いますね

年老いた親御さんを失ったり
もしかしたら
大切な身内を失った時の捉え方
ということをお話したいと思います

もしそういう人がいるならば
また今後起こりうる可能性があるならば
今日のYoutubeはすごく役立つと思います

ご質問いただいていたんですね
最近、Youtubeでは ご質問いただいています

父が転んで、頭を打ったことがきっかけで入院し退院後に自宅で看るか施設に入るか
考えている最中に病院で亡くなってしまいました

最後まで父は
「家に帰りたい」と訴えていた

その父のことを思うと8年今でも無理をすれば、自宅で看れたんではないか?もっとやれることがあったんではないか?と後悔の念にさいなまれます

というご質問をいただいたんですね

亡くなって、もう8年経っておられるんですね

いかがでしょうか?皆さん

皆さんもどこかで
してあげられなかったなぁ
あの時にこうしてあげればよかった

もしくはこれ別に親だけじゃなくてもね、大切な人を失った時に人間ってそう思いますよね

それはね、すごくよくわかるんです
じゃあその時にどうすれば

【受け止め方】
【考え方】

要はね「この世界」って心理学の世界では、その起こった出来事をどのように解釈したり、どのように心が反応したらすごく落ち込むのか?苦しくなるのか?

やっぱりこの方も8年ですからね
結構やっぱり苦しんでる時間が長いということですね

問題は
亡くなった人が本当に
「何で自分を家に帰らせてくれなかったんだ?」

恨んでいるか?っていうことを
まずちょっと考えてみたいんですね

実は
≪死≫
というものをどう考えるかでも考え方って変わってくると思うんです

例えば
死はもう永遠の別れである
と思ったらすごくショックですよね

でもね
僕のこれ個人的な、僕はどのようにその死を考えているかって
僕、別に宗教家じゃないんでね

お釈迦さんが
「あの世はあるんですか?ないんですか?」って言われた時に

【捨置記】しゃちき

「捨て置け」って言われたそうです

お釈迦さん自身がね

「往く前からあの世に往く前からあるのか?ないのか?
考えることが【煩悩】だと【苦しみ】だと

往かないとわからない世界
それはそこに行って初めて見えてくる

それを今からその時間を使って苦しんだり
考えたり、悩んだりするのは
決して良いことじゃないよ」

それと同じように
だったら「どのように考えても良いんだよ」っていうことなのかと「捨て置く」わけだから

だから僕はこう考えているんですね
例えば
お誕生日の≪誕≫っていうのは調べていただくと

あれ≪偽り≫っていう意味なんですね

だから≪生まれる日≫だったら≪生日≫でいいんですよ

でも「君、生日いつ?」
とは言わないですね

「お誕生日いつ?」

これは一回辞書で調べてもらうと

≪誕≫には≪偽り≫という意味

≪偽りに生まれた日≫ですよね

亡くなった日の事を≪命日≫っていいません?

本来は≪死日≫ですよね

でも≪命の日≫って言いますね。と言う事は

≪亡くなった≫のが≪命の日≫で

≪生まれる≫のが≪お誕生日≫

≪偽りに生まれた日≫

これもおもしろいですよね。だからもしかしたら

この世はあの世に往くための≪ひとつの滑走路≫みたいなものでね

だから
向こうに往くための≪ひとつの準備期間≫だと思うと

≪死んだ日≫のことを≪命の日≫

≪生まれる日≫のことを≪偽りに生まれた日≫

「仮想で生まれて予行演習みたいなものですよ」
ていうことなのかなって僕は解釈しているんですね

なぜなら
あの世が何もないなら≪お迎え≫とか言わないですよね

やっぱり
僕は何かそういう意味ではあるのかな?と

亡くなった人のことを語る時に
生前 あの人が・・

≪生前≫っていうのは書いていただいたらわかります

≪生きる前≫って言いますよね

本来なら
≪死前≫ですよね

≪生前≫っていうのは、これも漢字としては本来おかしいですよね

ということは何か
≪向こうの世界≫っていうものがあるのかもしれない

それは推論の世界なんでイメージの世界なんでね

よく≪聖書≫にもありますよね

イエスが自分のお弟子さんに
「私が魚(人の心)を捕る漁師にしてやろう」

漁師をしてるお弟子さんに
じゃあ自分の大切な人に、いとま乞い
「さよならをしてきます」って言った時に

その亡くなっていく人のことは、亡くなった人に任せればいい

その人のことはその人に任せればいい

そういう言い方をしますね
だからそう考えるともしかしたら

あの世界にはあの世界のルールがあって・・

ただ考えるんです
自分が亡くなった時に僕が一番思うのは

「亡くなった」ということで、誰かがずっと苦しみ続けているってことは

「亡くなった人はハッピーなのかな?」
って思うと

僕がもし自分がその立場だったら
いやもう笑ってください
って感じなんですね

不完全な人でこその優しさ

実はカウンセリングで以前こういう相談があったんですね

実は墓守がいなくなって墓を管理する人が

だから家族を置いて娘と別れて
せめて私だけでも田舎に帰って住まないといけない

号泣されたご婦人の方の相談を受けたことがあるんですね

ぼくはどちらかっていうと
亡くなったらインディアンみたいに大地の中に身体を分解して
そして、バクテリアが僕のエネルギーを喰って、その大地から花とかが咲き乱れたらいいな

ぐらいに思ってるし

僕はどちらかというと≪散骨派≫っていって
≪散る骨≫って書くんですけど

海にまいてくれ

墓に夏の炎天下お盆の時に
「あぁ墓参りか」って言いながら
「暑いね」って言いながら

イヤイヤ来てもらうよりも
あぁ海に行ったらパパに会える
お父さんに会える
って言ってもらった方が、そのつど思い出してくれた方が良いし

何かその墓のため死んでる人のために
生きてる人が苦しむっていうのは
僕は「どうかな?」と思うんで

今回のご質問者さんもそうですけど、8年経って
「あの時に何で俺を家に帰してくれなかったんだ」

完璧な私は看病ができなかったって悩んでいらっしゃるんですけど、どうなんでしょう?

もし自分が完璧に
もちろん親に対して完璧にしてあげたいと思ってても

例えば今回コロナみたいに、お見舞いに行きたいけどコロナ禍だから
病院がもしくは施設の方が
「お断り」
っていうことがありましたよね

やりたくても
今は義理の親のことを気兼ねしてやってあげたくても行かないとか

誰か他の人のことを気兼ねしてとか
それとかやってあげたいけど、お金がそんなに余裕がなくてできないとか

もしくは仕事上、立場上、部下がいるし
自分が抜けるわけにはいかない
やってあげたいけど、ごめんね

謝りながら心の中で詫びながら、やっぱり関わる

そういうことって起こると思うんですよね

「自分が完璧にやらないといけない」
と思って
今、この質問者さん苦しんでいらっしゃるんですけど

僕はねそれは
「不完全でよかった」
と思うんです

自分が完璧に親のことができないから、今度は自分が自分の子供たちに

やっぱり
完璧にしてもらえなくても
「あぁ あるある
私も完璧に親にできなかったからそれでいいよ」

って言ってあげられるような僕は親になると思うんですよね

自分が完璧なものを求めている人は、他人にも完璧を求める傾向がある
と、心理学では言われるんですね

だから僕はね人間って自分の不完全さをちゃんと意識していたら
他人の不完全な
例えば「お金がない」とか「余裕がない」とか

「自分の身体的に体力がないからできない」っていうことがあると

自分がそういう経験をしていると
「あるある!」ってなりますよね

だからそう考えると僕はね

”不完全な方が人に優しくできると僕はそう思っているんです”

詫びながら生きる

もし僕が先祖供養もそうですけど、やっぱりもし自分のことで
子々孫々子供たちや孫たちが、ずっとそのことで苦しんでいるなってなったら

もしあの世があるなら、僕も恨みとかイラ立ちとかない世界で僕らは生きてるから

「いつまで そんなところで、愛するお前が泣いてて悔やんでてどうするんだ!」
って言ってあげたいけど
届かないとこにいるならこれこそ向こうの人たちにとっては苦しみですよね

だから僕は
墓守にしても自分の墓の為に大事な家族が散り散りになるなんて
それを心から望んでいる?

どうでしょう?
ちょっとこの視聴者考えて欲しいんです

もしあなたが亡くなった時に、自分が亡くなったことで
ずっと誰かが苦しみで悩んでいて欲しいって望みますか?

もし望む人がいるかもしれない
そういう人はたぶんすごいエゴイスティックない人だなと思うんですね

本当に≪愛の人≫だったら
おそらく≪愛の世界≫が向こうにあるならば

そこに往ってる人はもうねイラ立ちとか
「何でそうしてくれなかったんだ」っていうね
憎しみとかは無い世界に往っていて

もぅ頼む。まず気がかりは、悩み続けているお前の方だ!しっかり笑ってくれ!

もし僕が亡くなった人だったら、本当に心からそれを願うはずなんです。

だからもう一度今日のまとめですけど

やっぱりこの世界でやっぱり
≪お誕生日≫
っていうのはもしかしたら≪偽りに生まれた日≫で

≪命日≫は≪命の日≫って書くんだったら

きっと向こうの世界で楽しんでいる
そんな何年も前に
「俺は家に帰りたかったのに帰りたかったのに・・」

って言い続けている死者はいないんと思うんで

そういう意味では
そして自分も完璧にできなかったから
子供にね

「ごめん。お前も自分の家族を持って大変だよね
いい、いい。お母さんもお父さんもいいんですが
私も完璧にできなかったから、大事な事はお前の家族が精一杯楽しんでいるのがいいよ」
って言ってあげられる親っていうのは

「自分が完璧にやった」
って言う人は
「何で私はやれたのにあなたはやらなかったの?」
ってなっちゃうけど

「自分もできなかったからそれでいいよ」って言ってあげられるのが、僕は≪優しさ≫だと思うんで

ぜひとも考えてもらいたいんです

亡くなった人が皆さんの周りにいて

もし
「あれもしてあげたかった、これもしたかった。
あの時なぜあんなふうに・・」

それをずっと向こうに往っている人達が、恨んでいるかどうかっていうのは
たぶん僕はそんな世界ではないと思っているんで

そして命を受け継いでくれたその人が楽しんでくれたら
もう何も望まない

だから
自分が不完全な場合は、その子供に対しても

その不完全さを許してください

だから僕はやっぱり人生って完璧なんかない

誰かを傷つけてるだろうし

誰かに不完全な愛しか与えられなかっただろうな

そう思うと人間って
「誰にも迷惑かけていない。私完璧にやりました!」
っていう人の方が怖くてね

僕はやっぱり
「詫びながら生きる」っていう言葉が好きなんです

それは
「何か卑屈になって申し訳なさで生きるんですね」じゃなくて

全然違いますよ

≪詫びながら生きる≫
っていうのは
人間って、人生がいろいろわかってくると完璧にやれることなんかできなかったら

「ごめんね、ごめんね」って言う気持ちがあると

他人の
「ごめんなさい」
っていう気持ちに対しても

あるある、そういうこと!俺もそうだったから」っていう

それが実るほど人間充実してくればくるほど
頭が下がって

「いいんだよ」
って言ってあげる優しさ

実るほど頭を垂れる稲穂かな

実れば実るほど稲穂が頭を垂れて腰が低くなります

「私完璧にやったから
どうしてあなた私の介護、ちゃんと完璧にやれないの?」

僕は少なくてもそんな親にはなりたくなくて

だから「詫びながら生きる」っていうか

自分も完璧に誰かに対してパーフェクトにやれなかったら
自分がこの世を去る時にパーフェクトに会いに来たかったけど来れなかった仕事で

「いい、いい。お前は仕事で忙しいんだから」

金がなくてさ、やってあげなかったけど。あんなところに入れちゃってごめんね・・

「いい、いい。その中でおまえ精一杯生きているんだから。大事なことは、おまえたちが幸せになればそれでいいんだ」

って言ってあげられるような
僕は人でありたいと思っています

この相談者がね本当にずっとあなたが苦しむ必要はあるのかどうか
一回ね、今日のYoutubeで
また皆さんの身近な人で

「亡くなった人で何かしてあげられなかった」

っていうことを後悔しているとしたらば
「その時間を亡くなった人が喜ぶか?」

ということを心から考えてほしいんですね

そして何よりも
一番嬉しいのは亡くなった人が

やっぱり前の時もお話しましたけど

あなたが幸せになること、楽しんでいること

そしてこの思うようにならない中で詫びながら、あなた自身も優しい人になって

他人の失敗や落ち度に対して
いいよ。僕も完璧じゃないからね」って言えるように

だから何か今
みんな完璧にしよう、立派になろう、うまくやろうと思いすぎるってするほど、その社会って実は生きづらくて

みんながそこそこ
「ごめんね。パーフェクトじゃないよね」っていうことの自分の愚かさを知って詫びながら生きているような社会の方が人に優しくできるのかなっていう気がしました

今日の話でもし
「何かそうだな」って共感していただいたら、またイイねボタン

周りの人たちでもいまだに何年も
そのことで悔やみ続けている人がいたら

「そういう考え方もあるんじゃないの?」
っていうことをちょっとお伝えしていただければ、皆さんだけじゃなくて他の人も救われるのかなと思います

またそのつど
ご質問いただけましたら、またお答えしたいと思います

今日はこのへんで
皆さんが幸せになられることをきっと星の上では、願っていらっしゃる人がいっぱいいるんじゃないかなということを思いながら今日のYoutubeは終わりたいと思います

ステキな夜を

さいごに

子供にとって学校は社会に出るための準備期間であるように
大人になってから、あの世に旅立つための準備期間になる感じなんですね

≪生前≫という言葉も本来なら、生きている前とは言わないから≪死前≫のところですよね
死前を無理に読むと「しぜん」
しぜん⇒自然
死前(しぜん)=自然(しぜん)?

自然に帰るって事なんでしょうか?

私は自分に甘い方なので(ワガママw)
先に旅立ったら残された人には忘れても良いから気を遣わずに楽しんで欲しいと考えています

だからこの動画を見てすぐに
妻と娘には「色々考えずに人生を楽しんでと伝えました」

その方がお互い気が楽ですからね

衛藤先生にコメントで伝えたら
「お互いに気が楽な状態が信頼関係です」
と教えていただきました

本当にありがとうございますm(__)m

グリーフケアのコツを教えていただきました

ここまで読んで下さったアナタは本当に優しい人ですありがとうございますm(__)m

感謝してます

また来てくださいね


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