心理カウンセラー衛藤信之先生の【僕はこの問題をどう乗り越えて来たか…~イライラ処理法~】の動画の文字起こしです。
この内容がすべての悩みに繋がるのではないかというぐらいの内容となっております。毎回このセリフを言ってしまうぐらい衛藤先生の内容には心に刺さる物ばかりなので、毎回救われては挫けます(笑)
笑い事じゃないですよね<(_ _)>
そこが未熟な人間の可愛いところって事にしておいてくださいm(__)m
簡単に衛藤先生の説明をさせてください
心理カウンセラー衛藤信之
日本メンタルヘルス協会は、「普通の人がより元気に、精神を向上させ、健康な心で生活をする。」という考えのもと、心理学をベースにしたカウンセリングのスキルを身につけられる講座を提供しています。
日本メンタルヘルス協会 代表
心理カウンセラー 日本で従来おこなわれていた、理論中心の心理学に変わり、実戦的な日常で使えるコミュニケーションプログラムを開発。
多くの一部上場企業から「今までの研修で一番、参加者に変化がみられた」と全国で反響を呼び、年間300回を超える企業研修を受け持ち東奔西走している。
また、各地で開催されている心理学の教室はキャンセル待ちが続き、その教室の卒業生の活躍も目覚ましく、テレビのレギュラー出演やベストセラー作家として多くのメンバー(名言セラピーひすいこたろうさんなど)が活躍中。
僕はどうこの問題を乗り越えて来たか…~イライラ処理法~
さて今回は、一生懸命自分が努力しているのに自分だけが努力していても誰も認めてくれないし「なんで自分だけが?」って思う日がありますよね。
自分が家族の中で頑張ってる、自分が職場の中で一番きつい仕事をさせられてる、でも全然評価されない。
そういう時にどんな考え方が一番皆さんがストレスを感じなくて済むか?という話をしたいと思うんですよね
九州男児
僕(衛藤先生)は九州男児なんです。
僕の父親はもう本当に男の人って家でどんと構えて何もしなくてどっしり構えてるのが男性だ!っていうイメージがあったんで僕がすごい父親に対して、父親はね愛人がいっぱいいたり、母親が何人も代わったりそういう事があったんで、すごい反発を持っていたんですね。
自殺したりする母親が出たりね。そういう中でやっぱりすごく父親に反発を感じていました。
でも無意識に「取り込んでいた」んでしょうね。
どこかでやっぱり「男たるもの!」何かドンと構えておくのが良いような気がしてました
でもね、実際社会人になった時に、いかに自分で例えば洗剤とかシャンプーとか自分で買うわけですよね。
トイレットペーパーなんか「全然自分は誰か(父親)のおかげで生きてたんだな」ということがわかりました。
また心理学を勉強して、そうか、ドンと構えていられるのは、そうやって甲斐甲斐しく女の人たちが一生懸命、九州はね、サポートしてくれてたから
まさに前回のyoutubeでもお話しましたけど、「僕も【魔法の助っ人】【なんでも叶えてくれる母親的なもの】を僕は求めてたんだなぁ」という事に気づきました。
家族が不機嫌な理由はこれだ!(youtubeへのリンクです)
海外での素敵な出会い
その後、海外に渡って、海外でステキな人達に出会うわけですよね。
例えば、ビジネスをバリバリやっていらっしゃる人とか大学の教授すごい社会的地位ある人が、トラッシュボックス(ゴミ箱)を平気でみんなで会社行く前にデカイやつですよね。
アメリカは運んでたりトイレットペーパーとかそういう日用品を車に一回入れて、わぁ!と楽しんで買い物してたり、奥さんが椅子のところに来たらパット引いたり
いつも小さい些細なことに「ありがとう」「感謝だよ」「本当に君には助かってる」些細な言葉を忘れなかったり正直言うと
「カッコイイな!」
と思ったんですね。で、取り入れるようになりました。
実際、今自分が家庭の中で、トイレットペーパーを詰め替えたり、もしくは家のこと、冷蔵庫の中に物を入れたり、それとか掃除機を気がついた時にかけたり、排水溝の娘が髪の毛が長いんで、それをたまってくると捨てたりするっていうのはやるわけですよね。
でも、どこかでちょっと「ありがとう!って思ってもらいたいな」ていう気持ちがあったりしてたんですね。
そうやって娘とか息子たちとか、そういうことやってても、どこかで日常のことって【日常の当たり前のことほど評価されない】
実は意外と子供たちって、評価してくれないんですよね(笑)
僕が子供の誕生日を祝っても、僕の誕生日には
「あ!パパ誕生日だったの?」って逆に言われて
「俺誕生日だったんだけど・・・w」
「なにこれ・・・」
ちょっとイラっとしたりね。そういう事もありました。
でもね、ある時期から「そうか、家庭を持つっていうことは、その人たちが幸せになることを喜んでするし、誕生日を覚えてたから自分が好きでやってたんだから、向こうが例え覚えてくれていなくてもそれでいいんだ!」と思えるようになって、どんどん変わって来たんですね。
現代は思い込みのフレーム『枠』が変化する時代
そういう意味では、それを昔の自分からすると学生時代の自分からすると「男たるもの!」という自分からすると、そういう自分って昔から見たら何っていうんですか
「女々しい」
今は使ってはいけない言葉、ジェンダーの問題(男女平等)で「女々しい」って書きますよね
そういうものだと思っていましたけど、今はまさに思い込みの枠組み【フレームが変わる時代】に入ってます(現代は思い込みのフレーム『枠』が変化する時代)
【変化する時代】ですよね。
Before → After
どんな部分がやっぱり自分の中にもあったか?
ちょっとね告白するつもりで、昔の自分ならば
「何か自分だけ働いて自分だけ大変な仕事をするのは損だ」
「給料の差が人の価値を決めてしまう」
「人がやってあげたことには当然、感謝すべきでしょう」
「楽な仕事は良い仕事でいかに効率的に働く事が大切だ」
「家族は仲良くみんなでサポートし合うのが家族ですよ」というような、そういうものって自分の中にもずっとありましたね。
「だからこそしてあげたら当然って顔しないで感謝すべきだろう」と思う事がやっぱり心をチクチクするんですよね
真なる愛は商品が出てこない自動販売機
その本当に【愛】っていうのを考えた時に、その【愛】っていうのは本当にこう販売機にお金を入れても全然商品が出てこない、そういう物が【愛】なんだと
引用元:心理カウンセラー衛藤信之
たとえば僕らは販売機に、お金を入れたら商品が出てくる。これが取引ですよね。
だから一生懸命誰かにやってあげたら
「ボクこんなにしたよ!その代わり君何をしてくれる?」
この【愛の原理】
要するに【商品取引的】なそういう【見返り的なもの】から【エゴイスティックな愛】から【自己愛】から抜けるっていうのは、本当に大変なことなんだなぁと思います。
だからこそ
「こんなに自分はしてるのに何で言ってくれないの?」
「こんなに僕だけ仕事頑張ってるのになんで評価してくれないの?」
そういう【ベースにある枠組み】が、やっぱり“イラつかせる”んだろうと思うんですよね
もちろんその気持ちはよくわかります。それを「なくせ」って言ってるわけじゃないんです。
そんな僕(衛藤信之先生)も聖人君子じゃないんで、さっき言ったように
「こんなにやってるのにな」
「ありがとうって言ってほしいよな」
それはマナーという道徳な部分でも教えないといけないことなのかもしれません。
それはもう十分にわかっているんですよ。
でもどこかで自分の中で
やっぱりその販売機にお金を入れて商品出てこない
「何だ?」って思いますよね。
でもそれが実は【愛】なのかなと思う
【聖なる人・義なる人】
「そんな販売機にお金入れても商品出てこない、そんなものにお金を費やすなんてバカみたいだ」と思いますよね
でもそれを変え始めたのが実は【タルムード】っていうこれ”ユダヤの聖典”ですね
それをたまたま読む機会があって、その【タルムード】にはこう書いてあったんですね
神様はもうこの世界に飽き飽きして、というよりもう「嫌がってる」と、この人類に
極端な話、滅ぼしたいんだと
え?神様はこの世界を滅ぼしたいの?そんなに嫌ってるの?
と思ったんです。
ただ滅ぼさない理由がそこに書いてありました。
それはわずかにまだ生きている
【義なる人】
引用元:【タルムード】”ユダヤの聖典”より
【聖なる人】
そのわずかな人数がいるからこそ、神様はその人たちも一緒に滅ぼしきる事ができないのだ
え?どういう事?
【聖なる義なる人】ってどんな人?
書いてあったんですねぇ
その【聖なる義なる人】は”タルムード”に書いてある
人知れず誰にも喜ばれることもない事を黙々とやって見返りを求めようとも思わない。それはあまりにもその人にとって日常やるべきことをキッチリこなしている。そしてそういう人たちはどちらかっていうと社会ではあまり目立たない職種。例えば畑を耕していらっしゃる人だったり、大工さんだったり、どちらかっていうとこうやって人前で講演をするとかすごい有名なお金持ちとか、イーロン・マスクとかですね。スティーブ・ジョブズとかみたいなそういう人ではなくて、本当に社会のコアとなって核となって一生懸命その人の清らかな日常がこの世界を支えているんだ
っていうんですね。
その人たちの美しさを一緒に神様は滅ぼしきる事ができないんだ
そして、そこにはこうも書いてあったんですね
「義なる人になりたい」って僕も思いました。
「努力したいな」って
でもね、実は
【義なる人】は
自分が【義の存在】【義なる人】であるっていうことに自覚性が全くない
そしてその自覚性をもって、「俺は義なる存在かもしれない」って言った瞬間から
実はその義なる集団から外されるっていう厳しいもの
なんですって
そうか・・
「こんなに自分はやってるんだ」
「俺こんなにしてやってる」
というのは【義】じゃないんだな。
そしてそういう人たちはいくら頑張っても有名になっても神様は一瞬にしてこの世界を滅ぼすぐらい全然平気なんだ
ただあまりにも清らかにその日常が美しすぎて一生懸命に誰かのために幸せのために普通に頑張ってる
それが確実に多くの人のベースの底上げとなってこの世界を守ってるんだっていうのを聴いた時に
「僕はたぶんそこには近づけないかもしれないけれどもなるべく近づきたい」
と思い始めたんですね
そうした時に徐々に
「何でお金入れたのにありがとうって言ってくれないの?」
僕らはカウンセリングをしてるとやっぱりそういうのがありますよね
「お母さんこんなにあなたのために育てたのに、なんでお母さんのところに帰ってきてね、いたわろうって気持ちがないの?」
「あなたをそんな学校に行かせるために私育てたんじゃないから」
「こんなに愛したのに私を裏切るなんて」
「僕こんなに仕事やってるのに何で評価してくれないんですか!」
そうなんだ。ほとんど多くの問題っていうのはやっぱり【取引】なんですよね
お金を入れたら、それに見合った商品が返ってこないといけない
「そこからできたら少しずつでも自分は抜けよう」と思い始めてから、ストレスがストレスに感じなくなったんですね
「なるべく一生懸命汗をかこう」とか「一生懸命やるべき自分のやるべきことを黙々として行こう」とかね
そういうふうになってから本当にこう世界が楽になりました。
もしかしたら
「私だけ家族の中で家の事やっている。でも親は全然評価してくれない」
「僕はこれだけ仕事を頑張ってるのになんで自分だけこんな仕事をやっているんだろう」
って思う人はやっぱり
【愛を商品取引】
「こうしたらおまえは何を返してくれるんだ?」でも
「したくてする」
一方通行なんだ。それが
【エゴイスティック】
『自我を離れた愛の姿』なんだろうな
間違わないでくださいね!こういうことを言ってるからって僕(衛藤先生)はできてる人間じゃないです。
ただ「それに近づきたい」と思うようになって、苦労して当たり前だし「黙々とやるべきことを」そうなってから初めて、心がらくになったということがあるんで
ちょっとそれを皆さんももしかしたら意識したら
「あぁそうか今自分は義なる人に近づいているのかな」
一生かけて自分はどんどん透明に透明に泥水が沈殿して上澄み液みたいになってそういう世界にできれば入りたいなって、これは僕(衛藤先生)の個人的な意見
皆さん「そんなめんどくさいことしたくない」
っていうんだったら、それはそれでいいと思うんですよね。
ただ中には「自分だけ」って思う人がもしかして今日の話を聞いて楽になってもらったらそれでいいかなと思います。
何か今日で気づいた事があったら
またイイねマーク
これイイねマーク👈つけてもらう自体が義なる存在から離れるよね(笑)
いいです(笑)
よかったら自分の中に取り込んで、今後の生活にしてもらったらいいかな
天に僕も今日は
『宝を蓄えよう』と思います。
ただまた機会があったら観てください
それじゃあ今日はこの辺で、さようなら
今回の動画も心にズシーンときました。
見返りを求めない行動は簡単にはできません。ついいつもの自分では家族にはできるけど、身内じゃない人には…ってなります。
義なる人・聖なる人に近づこうとすれば、他人に対するストレスもなくなるって事ですよね。ここまでやったのに!なんで!なんで?
そばにいた人に「まぁまぁ」ってなだめられていました。
これを知る事によって、自分の機嫌を取れるようにもなれるわけです。これは大きな収穫です!
衛藤先生!ほんとうにありがとうございますm(__)m
もっと早く知りたかった!
けど、この苦しみを知っているからこそこの考え方が生きてくるのです。ほんとうに涙がでてきました
ありがとうございました。
ここまで読んでくださったアナタは本当に優しい人です感謝してます
よかったらまた遊びに来てくださいね