母からの伝言… 〜 シンクロニシティ 〜②

心理カウンセラー衛藤信之

母親の愛と許しの最後のメッセージ

どうもー!感謝してます!

今回は、心理カウンセラー(公認心理士)衛藤信之先生の動画
【母からの伝言… 〜 シンクロニシティ 〜】の文字起こしとなっております。上のリンクが動画となっております。

Youtubeのクリップ機能を使ってリンクを貼りました。何か不都合がありましたら
【お問い合わせフォーム】からご連絡ください。

youtube上に2020/01/25にアップロードしたものとなっているため、ブログにアップした時期などが異なりますのでご了承くださいm(__)m

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この動画のポイント

・家族との葛藤と犠牲
・母の揺るぎない愛
・病気と和解を巡る旅

これより衛藤先生の動画【母からの伝言… 〜 シンクロニシティ 〜】文字起こしとなります

母の決心最後の決意

今回の衛藤先生のYoutubeが46分間の動画となっております
一度に読む時間が無い場合の事を私なりに考えまして、誠に勝手ながら4分割させていただきました
一日ごとにアップしていきますのでどうか楽しんでいただけたら幸いです

また、一気に動画を見るのも良いですが、今回ばかりは、読み終えた後に本編動画を観る事を推奨します
私個人的には、映画にしてもイイかと思うぐらいの感動がありました。衛藤先生の強さと優しさ
またカウンセラーになるべくしての人生だったのだなと感じました
ではよろしくお願いします<(_ _*)>

前回の記事⇓

前回母からの伝言…~シンクロニシティ~①

前回の記事↑↑

前回の続きから

で、一緒に行った時に
おふくろはおふくろで、今一緒になっている人と子どもを作らないように
その相手は、信之君たちを置いて僕たちは ひとつの子供たちを苦しめた
だから自分たちは幸せになってはいけない

だから名古屋でお店を開いているのも
いつか君たちが何か ひろこちゃんとか妹ね
信之君が困ったときに、何か手助けができたらと思って
僕らは爪に火をともすように頑張ってきた

この人たちも そうやって十字架を
自分だけと思うじゃない背負ってたのは
この人たちはこの人たちで十字架を背負いながら
苦しみながら歩いていたんだなぁと思ったら

みんな色々あるんだなぁと思って
それからかなぁ その関係を持つようになって
で、僕がねうちの子供が生まれたときに

「お前の子ども信之の子供を抱かせてもらえるなんて
こんな幸せなことはない。ごめんね有難い
でもいつかこの子が大きくなったら

あのおばあちゃんのところに行ってきた
なんて言われたら、きっとあなたの立場がなくなるから
小さい時だけでいいからね」

ってすごい気をつかって
だから その時に親父に言って、おふくろと会っているし
僕はもう自由じゃないか、僕の親なんだから 誰と会おうと
って言ってたんですね

で、うちの子供が癌になった時
おふくろは親父以上に、親父はね
大分から1回だけ来たのかな 仕事のついでに

でもおふくろは何回も来てくれて
そして
「本当に本当にお前にはご免ね」って言われて

なんでです?

「あなたにはちっちゃい時から苦労させてきて
子どもができて、やっとこれで幸せになってくれて家族を持ってあなたが
幸せになっていると思ったのに、こんな風に子供がなんて きっと私の、私の何かが
全部影響しちゃっているんだと思う」

なんか変なこと言われたんで
お母さんそれは違う。お母さんの事と子供の病気の事は
全く関係ないから気にしなくていい。とりあえず頑張るから!

って僕ね、もう本当にそうやって一生懸命
僕よりも妻の方が偉かったんですけど、ずっと子供と向き合って
僕はこうやって外で仕事やって

あれ仕事をやってる人っていいよね
介護をやっている人とか時折やっぱり外に出た方が良い
なんかね一瞬ちょっとね、病気とか介護やってる人はね

一瞬どっかで楽しむ一日を作らないと煮詰まる
で、たまに帰ってさぁ頑張ろう!と思うから頑張れるんで
ずっと向き合うことになってると、やっぱりさすがにね

介護疲れで介護の延長で殺したって
それはやってはいけないことだけど、追い込まれてしまうと
やっぱり人間良くないなぁと思って

だから僕はね
やっぱりそういう意味で仕事してて
本当に講座中は忘れるんですよ。でも終わった後に僕ね
一旦ね 僕教室止めますって言ったの

あのすみません
うちの子小児癌で、看病に専念したいんです
皆さんにお金いただいて、全部お金お返ししますから
しばらく教室閉鎖したいんですって言ったら

みんな優しいですよね受講生って
お金は返さなくていいですから、また再開する時に声をかけてください
先生!子供さんの治療に本当に専念して祈ってます!祈ってます!

みんなに言ってもらって
僕ね、喜んで京都府立医大に行って
明日から僕休むよって言ったら、妻に

なんで?」って言われたんです
いやいや、看病一緒にしたいから

やめてくれる」って言われて

「何で?あなたが外の空気を持ってきてくれるから私は
この病室の中で、子供の死と向き合ってるのに あなたまで横で泣かれたら
誰がその外の空気を持ってくるのよ?あなたはここじゃないでしょうと戦うのは

外でしょ 日ごろ言ってるんじゃないの?どんな環境状況であっても人間は
その中に幸せや楽しみや生きがいを見つける。今あなたはそれを問われていて
それを生徒さんに言ったのに、最悪だから休みますって それ言ったこととやることが違うって言われなかった?」

いやぁ~みんなそうしましょうって…

再開して!今あなたが
問われているのはそこじゃないの?
」って言われて

でも、また集めて すみません皆さん来ていただいて
来ていただいてありがとうございます。再開したいんです!って言ったら

また生徒の方が
やめてください!」と
楽しく聞けないです!

でも聞けないと思いますけど
僕も頑張るんで来てくださいって言って再開して
だからね、皆さん知ってるわけですよ

だから僕こうしてこうやって皆さんそれなりに笑ってくれて
終わった後
「衛藤さん子供さん大丈夫?」って言われると
急に引っ張られて、あぁ・・・みたいなね

で、うちの子供本当に助かって、本当によかった
5年間。5年5年ってやったときに
5年経ったときに、なんと一番最初に電話したのが
そのおふくろだったんです

「信之!5年経ったね!」
母さん5年経った!

「よかった本当によかった」

もうね毎回毎回病院行って数値も全部、血液も
腫瘍マーカーも1つもない

やっぱりね子供は新陳代謝が良い
もうほぼ入れ替わっているって、ほとんど奇跡だ
母さん安心してもう大丈夫だから

「よかった!あんたは元気なの?」

あぁ僕は母さん元気だからと言って電話を切ったんですよ

なんかね元気がないなって気はしたんですよ
そしたら今一緒におふくろと一緒になっている
僕が子供の時に知ってるその人が

「信之君」っていって電話かかってきて数日以内に

実はね、お母さん君の子供を守ろうと思って
ガンになった時に あるお寺に願掛けしてお地蔵さんを奉納した
お地蔵さんに1つ何か願を掛けるために何かを願わないといけないと言われたので

自分は5年経つまでは子どもの再発が絶対ないってことが
確認するまではどんなに調子が悪くても何しても ガンバって病院にはかからないから

という変な願掛けをしてたらしいんですよ

ここ半年ぐらいずっと調子悪くて
顔色も悪かったんで(病院)行けって
その人が言うんだけれど、信之君のお母さんだろうって

一旦そうやって決めた事に関して
揺らぐっていうのはできない人だから

「いや5年経つまでは、もうあと
ちょっとじゃない」

で、この間5年経ったから
無理やり連れて行ったら

「信之君ごめん
お母さんガンでね」って

聞きたいって言われたから
あの人強い人だからもう隠しきれないと思って
一緒に仕事もしてたんで、病院の先生にガンですって言われたら

ショックよりも第一声で聞いた質問が
「どこのガンですか?」って

君のお母さんはそう聞いた
お医者さんが奇しくもね、肝臓のガンですって
まさに、君の(子供と同じ)肝臓のガンの同じ場所だって聞いた瞬間

あの人なんて言ったか知ってる?信之君

よかったです。これで持って行けます。
治療はいいです」って言ったんですね

だから信之君帰って来てくれるかな

帰ります!僕帰ります!

だからしょっちゅう それからは大分に帰って
お母さん 頑張んなきゃね頑張んなきゃねって
もう知ってるからねもう隠せない

「信之もうそれはいい」

でもね、おふくろはもうずっと5年間
僕と出会ってからずっとね、5年間(その前の)学生時代からずっと
言い続けていたことがあって

それは妹に会いたいって言ってたんですよ
妹はね
僕は言ってたんです。おふくろに会ってるって妹には
おまえも会わないかって言ったら

妹はすごく真面目な子なので
「お兄ちゃん
お父さんおばあちゃんの気持ち考えたことある?」って言われて

「私はお兄ちゃんみたいに単純には寝返れない」

{寝返り}って言われたんですよ

「悪いけど、まぁお兄ちゃんはしょうがないと思う
ちっちゃい時知ってるもんね。私は途中まで知らなかった
生きてるってね お兄ちゃんに聞いて、でも会う気はない」

でもね、ガンになってからはね
僕は妹に、お前が子ども もしできたらさぁ
子どもが麻疹になったりオタフクになったり水疱瘡とか色々あるじゃん

その時に大体親からどんな感じだったのって聞けることは
おふくろは全部 僕にあの子は何歳の時これがあって、あの時は・・・
って僕は聞いてる

おまえ直接聞いた方がいいんじゃないかって
後でいなくなった時やっぱり会っておけばよかったとなるのが一番
兄ちゃんはそれが辛いんだ。会ってみないか?と言ってももう 妹は頑として

「ごめんねお兄ちゃん
それはお兄ちゃんと私の生き方が違うわけだから」

もう全然聞かない
でもねガンになった時に さすがに
もうあと少ししかないってなったときに

ある時ふと
「そんなにお母さんってひどい状況なの?」

もう、もうあと少しだと思う
「お兄ちゃん別府?」って言われて

大分に妹いるんで
「会いに行くわ」
そうしてくれるか!ものすごく嬉しくて
その日慌ててまた東京か大阪からどこかから、また大分に入って

母さん!
何か喜ばしたいと思うじゃない、免疫上げたいと思うから
母さん!すごい良いニュースがあってさ!
実はね、何だと思う?って言ったら
おふくろは

「ひろこのことじゃないの?」って
そう!ひろこがね、母さんに会ってもいいって
会いたいって!言ってたよ!って言ったら

「信之、ごめんね、ありがとうって
ひろこに伝えておいてほしい。会わないでおくわ」

母さん・・・
会いたいって言ってたじゃない
もうあと何も思い残すものはないのは妹と
妹にごめんねって

おまえはこういう小さい時に信之は手がかかったけど
この子は手がかからない子ってこんなに可愛い女の子で
こんなに僕に話してくれたことを直接 母さんから言うべきじゃないの?
って言ったらおふくろが

「信之、これからも生きられるなら会いたい
どんなことしても会いたい。でもね、会ってすぐさよならよ

もしそれだったら、そんなお母さんがいたっていうことを
あの子はそうやってそれで行こうって決めてたんでしょ

私もこんな病気にならなかったら どんなことをしてでも
ひろこを抱きしめたいし、ひろこに謝りたいし、どんなに良い子だったかを伝えてあげたい
でもすぐさよならよ信之、私はそんなひどいことはできない。ひろこに心から言って」

でノート渡されたんです
どんなに優しくてどんなに良い子で
それにはいっぱい書いてありました

「それをずっと書いていたのがあるから
信之からひろこにそれを渡してちょうだい
お母さんねずっとあなたの幸せを祈っているわそれだけ最後に伝えて」

~続く~ to be continue

⇓⇓続きはこちらから⇓⇓

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