人生に後悔している人間ほど個性が生かせる
どうもー!感謝してます!
今回は、心理カウンセラー(公認心理士)衛藤信之先生の動画
【心理カウンセラー向いている人向いていない人】の文字起こしとなっております。上のリンクが動画となっております。
人生は机の勉強よりも、叫びたくなるような苦い経験が後で強みになってくる。苦しい経験に押しつぶされるよりも、それを乗りこなして自分の力にしょう!
引用元:心理カウンセラー衛藤信之【心理カウンセラー向いている人向いていない人】概要説明より抜粋
この動画のポイント
・経験に勝る知識なし
・オリジナリティ
・紆余曲折してきた人生
・失敗した経験をエネルギーに変える力
・百聞は一経験に如かず
これより衛藤先生の動画【心理カウンセラー向いている人向いていない人】の文字起こしとなります
伝説のホストの名言
衛藤先生! いつもありがとうございます |
こちらこそ!
衛藤先生 お伺いしたいことがあります |
うん!
衛藤先生にとって イケてる心理カウンセラーってどういう人のことを言いますか? |
イケてる心理カウンセラー
そうか 難しいテーマだけれど
俺か俺以外か
(伝説のホスト ローランドの名言✨)
ローランド!(笑) |
冗談!冗談!冗談!
すごいですね(笑) |
イケてる
でもやっぱりどの職種においても
やっぱりオリジナリティを持っている人って
例えば理論・理屈を持っているとか
心理学をいっぱい知っているとか
心理学の説明
大学入試的な説明ができるというんだったら
いっぱいいると思うんだけれども
それを日常におとしめて
どうやって相手がそれを使える形にしていけるのかというのが
僕がいつも意識している
僕がステキだとかいうわけじゃなくて
僕のオリジナリティーは僕か僕意外かというのであれば
僕のオリジナリティはキラキラしていたいし
誰が見ても「元気そうだな」とか「いつも楽しそうだな」
そしていっぱい いろいろな経験
例えば子供のときのいろいろなツラい事とか
悲しい事を経験しているからこそ 事例を持って話がデキるものも
僕はすごい材料にしているので
どういう人がキラキラしているかというと
生まれつきキラキラしていることじゃなくて
泥水の中に咲く蓮の花というか
山の人の目立たないところで凛と咲いている百合の花みたいに
周りがどうかではなくて全部それをどう栄養化していったか
何を食べたかではなくて、何を食べた物から仕入れたか
人生 どういう人生だったのかって
悲観する人っているじゃない。すぐ「最悪でした」
そうじゃなくて、その中から何を得たかということを
僕はエネルギーにして
人には持っていない
やっぱり人って100人いれば100人ともステキなのよ
なぜステキに映らないかというと
自分のオリジナリティなんて価値がないと思っているから
あぁそうなんですね… |
僕オリジナリティこそ
悲しみも不幸も親に捨てられたこととか
例えばすごい虐待を受けたこととか
恋人にフラれた事離婚した事
何かそれぞれみんなあるけれども
それを外から言われて「最悪」とか
「それ不幸だね」という
その人に与えられたレッテルをバッチをつけられて
「不幸です」みたいな
「僕子供のとき虐待を受けました」とか
「離婚された人間です」とか
なんでもいいんだけど
そうやって人の与えられた書評をつけられて
生きていくというのが一番虚しい生き方だと
そうですね それをどうエネルギーに変えて その不幸な経験というもの、一見不幸な経験というのも どう その後自分が栄養に変えて華にしていくかということで もしかしたら良い心理カウンセラーになるかもしれないですね |
心理カウンセラーって奥行きって
僕の好きな心理カウンセラーって本当に
結構 順風満帆でいったというよりも 紆余曲折して
現場でやっているうちに精神疾患だとか
ちょっとこの現場の世界からズレている人達と関わって
統合失調の人とかしゃべりかけても全然反応が返ってこないとか
ずっとブチブチブチブチ言っている時に
「楽しいですか?」と言われても
今までのキャリアがカウンセラーのキャリアがぶっ潰れたんだって
でもねその人ってとてもステキなのね今
それはなぜかというと
そういう経験があるからこそ カウンセリングというのは
勉強で学校で教わったものではなくて現場でいろいろ自分も関与しながら
グループの中に入っていきながらうろたえている自分とか
全然しゃべりかけても声が返ってこないとか
ただここにずっと居座ってみんながそれぞれ好きな事やっている精神疾患の人の中で
ボーっとしてる自分を見つめた時に、今までの自信ってまさに机上の空論で
(沈黙も大事だったけれど、これだけ沈黙って長いんだ)とか
(いろんな心理セラピーって
こう言ったらこう返ってくると思っていたのが
返ってこない人もいるんだ)
統合失調の人は暴れるんだって
その時に触れてはいけないという
自分はそれ以上関わってはいけないという
カウンセラーという枠組みがあるがために
まさに反射的に動けなかったのが
やっぱり介護士とか そういう人はパッと
「ゆっくりしましょうね」とか
「大丈夫ですよ落ち着きましょう」とやった時に
「今までの学んできたものが全部吹っ飛んでしまった」と言うんですよねその人は
心理カウンセラーというのは
大学で教わった勉強した知識ではなくて
”現場で身に付いていくんだな”
というものをすごく考えさせられた瞬間でもあって
やっぱり僕の知っている牧師さんで
とてもヤクザなお仕事を(過去に)なさっておられて
今その経験をもとに
牧師をなさっておられる人のお話って
響くのよ
イエス・キリストの話がリアルなのよ
でも神学校を出て
バリバリでエリートでやっても
「そう すごいですねイエス様は」
「すごいなぁ」ぐらいで
あまりにも自分の生活から響いてこない
だから そういう意味ではいろいろな
イケてる心理カウンセラーというのは
知識、大学院まで出て
こういうものを持っているよりも
やっぱり現場で鍛えられて
いろいろな人たちと関わりながら
自分自体が実験材料みたいなモルモットになって
「なんで自分はこの瞬間動けないんだ」とか
「なぜこの瞬間に自分はこの沈黙に耐えられなくなったんだ」とか
自分はこういう関与をした時に
普通はこう返ってくるのに全然返ってこないときに
自分はどうするのか
それが全部力になっているカウンセラーって
僕はイケてるように映るね
確かに今おっしゃったのを聴くと 本当に自分自身がどういう感情に触れているのか 自分を誰より見ている存在って何だろう 安心して自分の気持ちを任せていいなという感じがありました |
そうね、だからそういう意味では
どんな人を安心して任せていいかというと
何も問題なく紆余曲折きた人よりも
やっぱりいろいろな経験を通して
語ってくれることが多い人
インディアンでいうと長老みたいな
やっぱり長老のお話って
インディアンのところで生活をしていて一番思ったのは
経験値ほど
最高のストーリーはないなというね
インディアンって別に本があるわけじゃなくて
自分の経験からいろいろなことをストーリーとして語ってくださる
それはね
聴いていて「深いな」と思うし
やっぱりそういう経験というものが
インディアンの長老の財産になっている
インディアンの話は別にしてもカウンセラーもそう
やっぱり経験がいっぱいあってインディアンの所に行ったり
「何をやっているの?」というカウンセラーの中に
そういうまた僕の好きな先生みたいに
カウンセラーとして給料がいいからということで
沖縄の精神疾患の人たちと一緒に過ごすという
その時に初っ端から何もできない自分を感じて
そこから自分が常識とかカウンセリングで大学で勉強をしたものが
全く通用しないんだ
そして本当にステキな理想とするカウンセラーになっていく
そういう人を見ると
やっぱり経験って大きいし飛び込んでみないと
カウンセラーにはなれないなという気がするね
真のカウンセラーになるためには 飛び込んで実践を積み重ねる |
僕はいつも教室でそう言っている
海外旅行に行く時に地図を見て開いて
「あそこに行って こう行って」
「こういったところにこういうのがあるのか」と言ったって
実際に行ってみないと何も頭に残らないけど
「行って このブリッジを渡った」とか
「このストリートのあそこのお店でこういうものを買った」とか
あそこで全然知らない人に声をかけて
「泊りにくるか?」と言われて
「じゃあとりあえず飲みに行きましょう」
と言って飲みに行った人間と一生の付き合いになったとか
そうするとその全部行った異国の地が
自分の頭の中に長期記憶となって
経験というのはやっぱり永遠に残るのよね
海外に行くために歩き方を調べて
「こういうお店があって」
「こういうところがあって」
「全部 把握してから海外に行かなきゃ」という人は
たぶん
本当の旅行の醍醐味はたぶん味わえないと思うな
そうですね
「行ってごらん!」
「感じてごらん!」
そしてトラブルはトラベリングで
まさにトラブルがいっぱい起こるからこそ旅行は楽しいので
このホテルに泊まるはずが全然違う
「じゃあ お宅の家でご飯食べようかな」
とか言って食べているうちに「泊まれよ!」となって
「今日パーティーやるんだから来ないか?」
「いやいや その予定は好き・・・」
「じゃあ行きます!」みたいな
行ったところで出会いがあって
そこでビジネスに繋がった友も良い
そこで教えてもらった先生、アメリカの先生で
「この先生 ステキだよ」という人に出会って
そこからライン(緑)が広がるとかね
それが全部 全部予測通りにならない
それが力に全部 今なっている
「どんな勉強したらカウンセラーになれますか?」
「どれだけ本を読んだらカウンセラーになれますか?」
という人は、たぶん僕はカウンセラーになれない
ステキなカウンセラーになりたければ
とりあえずいろいろな意味で経験をしてごらんということかな
ありがとうございます 衛藤先生はステキなカウンセラーを養成するスクールを |
僕程度で良ければぜひとも来てください
それとやっぱり僕らは実践主義なので
学校で学ぶことよりも実際いろいろな経験とか
クライアントのやり取りを通して感じた事を
みんながモデリングと言って
やっぱり観察学習と言って
お兄ちゃんがやっている姿を見て
「ああやったら怒られる」
「ああやったら失敗する」
「ああやったら・・・」
そうすると自分が経験しなくても学べる
そういうのってすごく
バンデューラという人が開発したんだけれど
自分が観察しながら身に付くというのが すごく大事なのね
だからやっぱりそうやってメンタルに来て(メンタル=日本メンタルヘルス協会)
いろいろな僕も失敗は語るし
「あぁこれ今考えると今の知識だったらこうなんです」
「あの頃 僕こう信じてやっていたんですけれど」
それがたぶん
受講生にもウケているみたいで
メインの講座はね
そういうのを知りたければ遊びに来られたら
非日常 チャレンジした人間が
「わぁこの人面白いな」
というものは感じ取ってもらえるかなと思います
そうですね 是非体験だけでも遊びに来てほしいですね |
待っています
衛藤先生今日もありがとうございました |
ありがとうございました
失礼します |
さいごに
経験がカウンセリングにおいてどれほど大切か、その深みを知ることができ
カウンセラーとしての成長の秘訣を知ることができました
特に、失敗や困難が実践を通してどれほど豊かな経験に変わるかを教えていただきました
衛藤先生の語る
「経験値ほど最高のストーリーはない」
という言葉には、まさに人生の真理を感じました
失敗や困難が、新たな人生のストーリーを紡ぐ原動力となり
それがカウンセリングにおいてどれほど力強いものとなるのか
それぞれの経験が、他者とのつながりや理解を深め
カウンセリングの本質に迫る手助けとなることが分かりました。
このお話を通じて、自分の経験がどれほど価値あるものであるか
それをどう活かしていくかが問われる良い機会となりました
衛藤先生の温かい言葉からは、カウンセリングの奥深さだけでなく
人間関係や人生そのものに
ますます学びたいと思う気持ちがふつふつと湧いてきました
不労所得など楽な生き方を目指してた私ですが
これからの残りの人生を
頑張る人のサポートをしていく生き方もいいなぁと感じました
ここまで読んでくださったアナタは本当に優しい人です。ありがとうございますm(__)m
また来てくださいね