指導者の自信喪失と教育の変革と現代の課題
どうもー!感謝してます!
今回は、心理カウンセラー(公認心理士)衛藤信之先生の動画
【職場・学校の教育が崩壊の危機】の文字起こしとなっております。上のリンクが動画となっております。
今回のYouTubeで間違って欲しくないのは、厳しい指導することが決して最良だといっているわけではありません。権力ポジションを笠に部下を感情的に怒鳴り飛ばす上司もいれば、自分の気分で生徒を怒る先生もいます
ただ、相手を本当に伸ばしてあげたいと思っていれば、苦言を呈することも必要です。でもそれは指導側にとって今の時代は、リスクが生じます。だから誰もが責任を取りたくないから、規則でガンジがらめで縛るのです
それは教育というよりも責任転嫁の社会になっているということではないでしょうか?考えて見たいものです1日体験ゼミナール申込受付中
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この動画のポイント
・成長においての必要な厳しさ
・厳しさと優しさのバランス問題
・教育においては親と先生の力関係のバランス問題
これより衛藤先生の動画【職場・学校の教育が崩壊の危機】の文字起こしとなります
規制がもたらす育成の難しさ
さぁ今回は
今 会社で部下指導や学校の先生自身が〈指導〉というもの
〈教育〉というものに本当に自信を喪失して苦しんでいますよっていうね
ある種崩壊が来てるなぁっていうことをちょっとお伝えしたいと思うんですね
僕ら心理カウンセラーは
学校とか、もしくは企業とか心理学を
使ったコンサルタントとして
社内の風通しや生徒の心のケアで指導に行くんですね
今までちょっと昔だとそうですね
研修に行っても いやぁ衛藤先生の仰る通り
権力がもう通らないんですな、部下の話を聴いて
そして、ちゃんと相手がわかりやすいように
指導しないといけない
今までは、「行けばいいんだ!」
「根性だ!」っていうのは通らないんですな・・・
っていう問題意識をキチッと持ってくださるリーダーが多くて
これは良かったんですね
今まで通りイケイケドンドン!で
「部下を抑えつければ結果が出る」じゃなくて
「部下の気持ちを汲んで」とかね
ところが最近、ここ本当に数年なんですけど
自信喪失しているリーダーの人が
すごく多くなってきたんですね
「どういう自信を喪失するか?」っていうと
僕はもう指導がわかんないんです
自分はもうリーダーとして向いてないかもしれない
もしくは
生徒指導に自信が完全に無くなりました
子ども達が最近怖いですっていう
先生方の相談がすごく増えたんですね
だから
≪問題意識≫から≪自信喪失≫へ
これすごくね、一番僕が気にしているところなんですね
それはなぜか?って言うと
今は本当にストレスに弱くなった時代
フラストレーション トレランスって言って
欲求不満、思うようにならないことに対して
耐性がすごく弱くなっているって言われてるんですね
だからなるべく
あまり厳しくやると部下辞めちゃったり
また子どもたちが自身を失ったりするんで
その子のペースに合わせて指導しないといけない
っていう風潮があるんですね
だから
「まぁ無理しなくていいよ」とか
「楽にやろう」とか「のんびりやればいいからね」
そして
「嫌なことからはあんまり無理しないで避けた方がいいかな」
こういうような
≪甘い言葉≫
これは確かに、僕らカウンセラーが使うのは
ある意味で心の努力をし過ぎて苦しんで
今は完全にエネルギーがエンプティー(空)になっている人
そういう人たちはうつ病になっている
人達にはよく僕たちもそういう指導をする
ただこれを今は万人に使っている時代なんですね
SNSでも
「楽に生きましょう!楽しく生きましょう」
「面倒くさい人とは距離を取って」
これをやっぱりそういう部分で
みんながそれに対して、そうだ!そうだ!と思う
でも僕はちょっとそれに関しては
お釈迦様が
「人を見て法を説け」と言ったように
その人に合った指導をしないと
逆に言えば、疲れてる時にはそれが必要だけど
本当に今、伸びないといけない時にそのおもしろさを
教える時には「ここまで上がっておいで」
っていうのが必要になると思うんですね
たとえば、登山でもそうスポーツでもそう
また仕事のやり方でもそうなんですけど
やっていくうちに
「あ!ここまで来て初めて面白みがわかった!」
山の魅力をいくら理論的に説明しても
「とりあえず登れば!
登って見てみろ景色を!そしたらすごい世界が変わるから!」
っていう部分ってありますよね
言葉には説明できない
だからそういう意味ではトレーニングっていうのは
ある程度、ある段階まで引き伸ばして、そしてその面白さが
分かった段階で自己責任で伸びていく。これはすごく面白いと思うんですね
イチロー選手がこんなことを言ってました
「今の学校は酷だ」
これは勘違いされたら困るけども
厳しいことを全部取り去ってしまっている
僕は智辯学園という非常に強豪校で指導に行った時に
その中谷先生という先生も
「いや今は昔みたいに厳しくはできないです」
それでも智辯は厳しい
そういうところですらそう言ってる
これはね、僕たちの時には自分のスポーツを伸ばす時には
ただ自分が言われた通りやっていれば
「あ!そういうことか!」とか
「こういうことか」っていうのがわかった
でも「自己責任で」「自分で考えな」って言われてしまうと
ほとんどの子たちは
「楽をしたい」「楽しみたい」っていう
ある段階まで引き上げていくのは、ある程度
一緒に責任を取って、リーダーとして、また指導者として
考えてくれる人が要るんだ
そしてそれは一緒にその責任を背負っていく
でも逆に今そういう風潮、社会の風潮で
「何か言ったら」
たとえば学校でも厳しく教育
ちょっと言ったら
生徒との関係は良くても生徒が何気なく言った
「先生にこんな事言われた」って言葉で
今ものすごい≪コンプライアンス問題≫とか≪ハラスメント問題≫
すごい言われて
えっ!そんなことがあったの?
っていうことで
教育委員会に言ったら一発でアウト!で
先生もクビを切られる
そうすると何が起こるか?っていうと
まぁ逆に言えば
生徒さんは≪お客さん扱い≫
いや会社も部下も
変に言って会社辞められてしまうと困る
そうすると
「まぁ無理しなくていいからね」
「のんびり行こう」
「あのぉ・・・自分の身体も調整してね」
今「会社を辞めたい第1位」が
この会社にいても伸びた実感がないし
能力が上がるような気がしないっていうのが
実は第1位になってきているわけですよね
それと結果的に
リーダーとしては≪お客様扱い≫して
変にへそ曲げられて辞められるぐらいだったら
「まぁ自分らしくでいいからね」
その結果、もう危ない仕事とか
とっても気をつかう仕事を「俺がやったほうがいいや」
ベテラン選手は人を入れても結果的に仕事は減らない
で、部下は
「全然教えてもくれないし、無理しなくていいって言われる」
だから結果的に
「自分は伸びた気がしない」
これどうなんでしょうね?
矛盾が生じてるわけですよね
だからそう考えると誰のコンプライアンスなのか?
確かに甘い言葉を使う
先生方とかリーダーっていうのは
一見優しそうだけど
「もしうまくいかなかったらそれは君の自己責任ね」
まさにイチローさんが言っているように
「一部はいるだろう」と
要するに自分でどんどん目標を持って
自分の足らないところを練習して自分を高めたい
それはほんの一部で
ほとんどの子たちは潜在能力がすごくありながら
ただ誰も言ってくれないから
その日、その日を生きている
そういうところに熱い先生が一生懸命教えて
初めて、あ!そういうことなのか!
昔<The KarateKid>っていう映画があって
一生懸命「空手を教えてほしい!」って言うんですけど
その人は宮城さんという人は
「壁をどんどん塗りなさい一生懸命」
何でこんなことさせられるんだ?
って言っていたものが
いざ戦いの時に防御がすごい役に立った
これだったんだ!
そこまで来れば人間って本当に面白い
この仕事もこのスポーツも
「自分でもっと高みへ!」
そこまでは何なのこれ?
何のためのトレーニングなの?
っていうものが要るんだよ
もちろんわかりやすい
説明と導き方ってのも大事だと思いますよ
ただ先ほど言ったように
登山の魅力も説明ができないから
「とりあえずやってみよう!」
「やってみたらわかるだろう!」
こうやってお客さんに喜んでもらえる喜び
これはどう言っても体験しないとわかんないんだ!
っていうのはどっかで
でもそれが変に
何かあると自分の責任問題で部下辞めたり
生徒がパワハラだって言われてしまうんだったら
もうそれは楽しくやろう
無理しなくていいよ
っていうのはある種責任回避ですよね
そういう人たちが本当に熱く
「本当にこのままでいいの?この子たちの指導…」とか
本当に部下を伸ばしたいという人たちは
すごく今ジレンマに陥って苦しんでいるっていうことなんです
そして一方では
≪お客様扱い≫
みんながしてもらいたいわけでもないのに
指導もしてくれないし
厳しい事も言ってくれないし
仕事もあぶない(神経を使う)仕事は
何かリーダー全然回してくれないし
伸びた気がしない
だから退社されると
やっぱりもうちょっと穏やかに教えた方がいい
そして学校の先生に聞いても
「このままで本当にこの子はいいの?」
と思っても
「とりあえず卒業させればいい」
僕はね、≪優しい時代≫≪甘い言葉≫っていうのは
ある種、それは誰もが人の評価とか目を気にして
「本当に人を育てよう」という人たちを
どんどんなくしてしまう
そういう意味では
≪育てられる側≫も≪育てようとする側≫も
この一生懸命やっていることが
逆にマイナスに働いてしまうということが
起こり得てるんじゃないか?
僕は本当に
誰のためのコンプライアンスなのか?っていうことを
今一番
「皆さんに一回考えてもらいたい」って思って
このYouTubeを撮りました
確かにそう
この≪意味付け≫≪面白さ≫は
誰かが一緒に責任を取ってやってくれたから
途中までロケット、予備ロケット落として
「あなたたちのおかげでこんなに楽しくなりました!」
その人たちが確かに
厳しかったり苦言を呈したりした
「でもそれがあったから今があるな」
ていう経験をした者にとっては
それを逆に言えば
手枷足枷になって、何も手が出せない
ってなった時に
この日本の力を底上げしていかないといけない時に
あまりにもテレビにもそう
コンプライアンスがあって面白みがなくなったり
何か日本的に今
いろんな意味でみんなが規制しあって
実は力を失いつつあるのではないかな?っていう
そういう問題定義にもつながると思います
今日の話で何か皆さんも
考えることがあったらぜひとも
コメントに皆さんの意見を入れていただきたいし
そして「うんそうか」
「厳しさだけは悪いだけじゃないんだ」
その確かに厳しさを抑える良い側面と
それがブレーキが効きすぎて、本当に熱い子供たち
また部下を本当に育てたいという人までが
動きが取れなくなっているのはどうなのよ?っていうね
本当のコンプライアンスって何なの?
っていうことをね、ぜひともね考えてもらういいきっかけに
していただければ
今日のYouTubeは意味があったかなと思います
また何か皆さん気づきがあったら
イイねボタンとまた登録をお願いします
それでは今日はこのへんで終わりたいと思います
それじゃあ さようなら
さいごに
現代社会における教育や
リーダーシップの深刻な問題が明らかになりました
甘い言葉やコンプライアンスが持つジレンマに焦点を当て
育成と自己責任のバランスが大事だと考えられます
また、厳しさの重要性とその過度な規制がもたらす弊害にも触れ
社会全体における力の喪失に警鐘を鳴らしています
結局は、厳しすぎる人がでてしまい
適度なスパルタも必要なのに、度を越してやり過ぎ星人の出現で
ゆるくなりすぎて、子供たちも先生を怖がる事もなくなり
先生も弱い立場になってしまって可哀想ですね
自分だけよければ良いの考え方をやめて
皆で助け合わなければどうしようもない時代に入っているのです
皆で力を合わせましょう!
ここまで読んで下さったアナタは本当に優しい人です。ありがとうございます<(_ _*)>
感謝してます
また来てくださいね